牽牛子塚古墳、盗掘と南海地震で損傷・飛鳥の皇族古墳は軒並み被害

八角形墳で斉明天皇(在位655〜661年)の墓であることがほぼ確実となった奈良県明日香村の牽牛子(けんごし)塚古墳など、この地域に築かれた皇族クラスの古墳が、軒並み中世ごろの南海地震で損壊していたことが、専門家の調査でわかった。地震直前に大規模な盗掘を受けていたことも判明。盗掘時の破壊で古墳全体のバランスが崩れたことで、地震の揺れに耐えきれなかった可能性が高く、盗掘と地震の“負の連鎖”が浮かび上がった。

 村教委によると、牽牛子塚古墳では、盗掘時の遺留品とみられる出土土器から鎌倉〜南北朝時代に盗掘を受けた可能性が高いという。この時期には各地の古墳で盗掘が増えており、時代の混乱期で世相が不安定になったためともいわれている。

 古代遺跡の地震に詳しい寒川旭(さんがわあきら)・産業技術総合研究所招聘(しょうへい)研究員(地震考古学)が現地調査したところ、被葬者を納めた石室(幅5メートル、奥行き3・5メートル、高さ2・5メートル)には長さ3メートル前後にわたって亀裂が入り、南北朝時代の正平16(1361)年の正平南海地震などが要因という。

 正平南海地震紀伊半島沖の太平洋上に延びる「南海トラフ」を震源とし、マグニチュード(M)8・4前後、明日香村一帯では震度6弱の揺れが襲ったとされる。

 寒川氏は「重さ推定70トンもある石室に、地震だけでこれほど亀裂が入るとは考えにくい」とし、「直前の盗掘で古墳が破壊されてバランスを崩したためではないか」と推測する。

 一方、石室の亀裂は、地震ではなく墳丘の盛り土の重さが原因との説も根強い。これに対し京都大防災研究所の三村衛(まもる)准教授(地盤工学)は、亀裂の方向などから石室の上方や横から一気に衝撃を受けたことが要因とし、「盛り土の厚さは2〜3メートルで、2階建て住宅ほどの加重しかかからず、地震による亀裂ではないか」と指摘する。

 地震被害を受けた古墳は、約500メートル南方のカヅマヤマ古墳(7世紀後半)が、盗掘で石室が荒らされたあとに正平南海地震が襲って石室がほぼ全壊したことが過去の調査で判明している。

 牽牛子塚古墳から約200メートル西方の真弓鑵子(かんす)塚古墳(6世紀中ごろ)、約1・3キロ東にあり飛鳥美人などの国宝壁画で知られる高松塚古墳(7世紀末〜8世紀初め)も中近世ごろの南海地震で石室に亀裂が入ったとされている。

 これらの古墳を調査した寒川氏は「盗掘で石室の一部が破壊されるのは、木造建物から柱1本抜いたようなもので、急に不安定な状態になる」とし、「盗掘さえなければ、南海地震に襲われても大きく損傷することはなかったのではないか」と話した。