平城宮初の大地震痕跡 大極殿ズレの要因、仁和南海地震か

平城宮跡奈良市)の第一次大極殿院地区で、大地震の痕跡とみられる細長い地盤の亀裂が奈良文化財研究所の発掘調査で見つかったことが5日、分かった。奈文研は、検出状況や記録から平安時代の仁和3(887)年に発生した南海地震によるものと推測。平城宮跡で大地震の痕跡が確認されたのは初めてで、東西対称のはずの大極殿院の地盤にずれがある一要因と考えられるという。

平成20年度に行った調査で、大極殿院北西隅部の西面回廊跡内側から見つかった。約16メートルの範囲内で10本以上が確認され、最も長いもので12.5メートル、深さは50センチ程度。強い地震によって引き裂かれた地盤に土が入り込んだものという。それぞれの亀裂の東西で最大約7センチの段差がある。

平安時代の歴史書日本三代実録」によると、仁和3年の南海地震は7月30日に発生。山城、摂津などで大きく揺れ、京では建物が崩壊、多くの死者が出た。津波も発生し、摂津で大きな被害が出たという。地震の規模はマグニチュード(M)8〜8.5と推測されている。

回廊に囲まれていた大極殿院は中軸線から東西対称のはずだが、西側の幅が東側より約50センチ大きく、地面も約90センチ低いことが確認されている。軟弱地盤に由来する長期的な変形と考えられてきたが、奈文研の大林潤研究員は「亀裂が見つかったことで、地震による地盤のずれと、その後の長期的な変形によって生じたと解釈できる」としている。